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本日は明後日の美容研究会の準備を、
1日中しておりました。
ずっとパソコンを見ていて目が・・・・
まぁ、水曜日はやっちゃいますよ。
受講生の皆さまは「お知らせ」を読んで、
元気に代々木集合です!
お仕事終了後はダッシュで帰宅。
「パパ、お話して」
と大ちゃんがねだるので”パパのオリジナル話”をこってり聞かせる。
その場で思いついた長編の「河童話」が気に入ったみたいです。
河童は飢饉で食えなくなり、間引きした子供だと松井は思う。
日本は陰陽道(大安、仏滅など)の考えから、
陰極まれば陽を転じるように、禍を祀ることで帳消し、
または神にも仏にも祝福にも変えてきました。
古くは日本書紀に出てくる最初の神、蛭子が関西に流れ着いて戎様になったように、
菅原道真が都に祟をなすことから学問の神に祭り上げたように、
汚れを祭り、逆に良いことにしてしまうのが日本民族の特徴の一つです。
ちなみに1月1日、3月3日のようにゾロ目は陰陽道の考えでは良くない数字。
なので祝い、良い日に転じております。
ちなみになぜ東北に妖怪は多いのか?
松井も柳田国男の「遠野物語」を読んで遠野市に行ったことがありますが、
はっきり言って何もない土地。
肥沃には程遠い土地です。
幾百年に渡って戦争や飢饉があった度に哀しい物語が沢山生まれたと思います。
昔読んだ河童伝説の話ですが、
東北で大飢饉があり、飢えて母に食べ物をせがむ子がいた。
母も何とかしたいのだが、全く食料がない。
せがみにせがむ子供。
母はその子の手を引きふらふらと河原に連れて行き、
突然、川原の石でその子の頭を滅多打ちにして殺した。
殺したあとの母の顔は妖艶なほど美しくそのまま何処かに姿を消したという。
子はそのあと河童になったという。
多分、これは本当の話だと松井は直感的に思った。
松井も人の親だが、子が飢えて泣く姿など見たくない。
切なくて哀しくて仕方がない。
だが、全く何もできない。
それともう一つ。
子を捨てれば自分が生きる可能性は少しある。
恐ろしいことだが、恐ろしいのが現実。
表には出ずとも極限状態で悲惨な最後を迎えた人々は無数にいたと思う。
物語とはその名も無い人々の鎮魂歌(レクイエム)ではないでしょうか。
河童も哀しき鎮魂歌から生まれた伝説ではないかと推測します。
(河童宇宙人説も面白いですが、宇宙人を研究する勉強会にも参加して、
宇宙人を語らせたら長くなるのでここでは割愛します。)
町起こしで河童キャンペーンをやるのもいいと思いますが、
その物語に魂は入りません。
河童や妖怪を作ったのは人間。
人間に棄てられた人間も妖怪になったのだと思います。
(砂かけ婆は口減らしで姥捨て山に棄てられた高齢の女性、
小豆洗いも同じような条件で棄てられた高齢の男性など)
良心の呵責を「人間ではない、妖怪だから」
と転じて生まれたのではないでしょうか。
ちなみに小説、
楢山節考の中にも山に捨てた爺様が家の戸を叩くシーンがありますが、
家の者は「あれは山の沢蟹の叩く音だ」
と言って認めません。
つまり、認めなければ人ではない、家族でもない、
ただの沢蟹なのです。

松井は恵比寿様が好きなのですが、
理由の一つに”元々忌み嫌われていた神”だからということがあります。
東北地方のことを昔、蝦夷地と言っていました。
”えびす” ”えぞ”
この、”え”というのは、
「遠方」と「忌み」つまり、異形、異方の者という意味があります。
松井も自身のことを異形の者だという自覚がずっとある。
ここでいいのか?
この場所で生きていいのか?
そんな自覚の元に生きております。
息子も遠からず冷たい風を受ける日が来るでしょう。
その風は自分の内側から吹くのか、はたまた世間の風なのかわかりませんが、
どちらにせよ風は起こります。
そんな時に支えるのは魂の物語であり、決して「河童は幸運の使いだよ♪」
みたいな偽善じみた物語ではありません。
魂が鎮められ、魂が支えられるような話を松井は息子にしたいのです。
母に殺された哀しき河童の子。
その後、数百年生きたが、いつも想うは母のこと。
「おっかぁに会いてぇなぁ・・・」
そんなある日。
河原に一人佇む女がいた。
その女の横顔は河童の母に瓜二つ。
「おっかぁ!」

と、松井の作った河童物語は続くのですが、
河童の子が母を偲んで死んでしまうパターンと、
母が河童になって仲良く暮らすパターン。
この二つの物語を即興で作り、朗読しました。
河童の話からなぜこんなに熱くなったかよくわかりませんが、
たまにはいいかもね。
SOかもね!
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以上!
忍押!(すお!)