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明治までの国語教育の基本は、

「四書五経の素読」

でした。

四書というのは、

「論語」「大学」「中庸」「孟子」

五経というのは、

「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」

素読というのは、

「ひたすら漢文を音読」

するだけ。

有名なところですと、

杜甫の書いた ”春望” という有名な漢詩。

國破れて 山河在り

城春にして 草木深し

時に感じて 花にも涙を濺ぎ

別れを恨んで 鳥にも心を驚かす

峰火 三月に連なり

家書 萬金に抵る

江戸時代の寺子屋では、

読み書きソロバン、

さらに百人一首や徒然草はもちろん、

四書五経から十八史略、

唐詩選などの漢籍の多くを素読、諳記させておりました。

当時、寺子屋は江戸だけで千軒以上もあって、

最盛期には日本全国に二万軒も存在していたそうです。

その時代に庶民のレベルでそれほどの教育が行われていた国は珍しく、

当時の日本の識字率は、世界一。

江戸時代の幕末期においては、

武士はほぼ100%、庶民層でも男子で49~54%

(ちなみに同時代のイギリスでは、
下層庶民の場合、ロンドンでも字が読める子供は10%に満たなかったといいます。)

この、「ひたすら漢文を音読」という作業がキモだと思います。

「意味」を解するには、

ある時期「意味など意味がなく」

ひたすらやり続けることが大事だと思います。

身体に言語記号を浴び続けることで、

脳の神経回路を向上させるシステムだってありうるのですから。

ミュージシャンの大瀧詠一は読書のことを、

「座って頁をめくるダンス」と解釈。

さあさあ、ダンスのニューモード。
座って、踊る。
名づけて、
座 読書。
リズムに合わせて
頁をめくる。
しぐさ、ぱらぱら
簡単。
座 読書

意味を理解させようとする行為が果たして意味のある行為なのか?

意味なんかどうだっていい。

浴び続けることでしか「言語の意味」を解せず、

次のレベルに上がれないと古人は知っていたと思います。

明日は4月松井塾。

浴びせ続けますよ!

以上!
忍押!(すお!)